歴史調査を進める際、近代から過去へさかのぼる方法と、過去から順にみてゆく手法があるが、種田という家名の成り立ちを考証することが目的であるので、歴史的なターニングポイントから検証してみたい。
大垣市長沢町にある福乗寺が我が家の菩提寺であるが、こちらの資料によると種田家は
『関ヶ原では西軍』
『大阪の陣では秀頼に殉じた』
とある。ともに敗軍側であった。
大垣城は徳川側であったのに、種田家はなぜ西軍、秀頼側であったのか。
ここを調査のスタートとして、1600年の関ヶ原以前の安土桃山時代に遡って調査を進めたい。
今日はここまで。