美濃国 の 種田(おいだ)という名字の由来
1920年、岐阜県大垣市東前で生まれた祖父は左官屋であった。
妻である祖母は伝来の田畑を一人で苦労して耕していたと自身の口から繰り言のよう(愚痴ともいう)に聞かされた。
1878年生まれの曾祖父母は土着の百姓であったとやはり祖母から伝え聞いた。
私の生まれた種田(おいだ)家は百姓の家系であろうと幼少のころから信じていた。
そんな私が数年前に『信長公記(しんちょうこうき)』と出会いました。
信長公記によると、ご先祖の一人である、「種田亀(または亀丸)、織田信長の小姓衆のひとり」が本能寺の変において、信長公と共に討死したとの記録があるではないですか。
もしかして種田(おいだ)一族はかつて武士ではなかったのか…。
このブログでは、種田(おいだ)という名字を持つご先祖様の足跡をたどります。
血がつながっていなくとも(曾祖母と祖父の年齢を考えると養子縁組であったと思われる)、種田の名字を継ぐものとして、種田一党の歴史を掘り起こして記録に残したいと思います。